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おひる。

UGNの手配で、N市で起きた死者蘇り事件、並びに市民による暴動事件の記憶は消去された。
「ねぇねぇ、私がこの店のランチに行ってみたいってどうしてわかったの?」

佐藤美咲はオーヴァードではない。
行方不明になったはずの彼女の親友を探してほしいとの無茶な依頼も、報酬として俺に昼を奢ったことも、それが前々から行きたかったカフェだったことも。連鎖的になかったこととして上書きされた。

俺がそれを覚えているのは、こっち側の人間だからだ。
一応、事件としては解決させたわけだが、その結果は美咲が意図したものではないし、そもそも依頼した事実まで覚えていない。
彼女にしてみれば、いつの間にか財布の中身が少々寂しくなっていたということになる。

食い逃げの様で気が引けて、誘ってみたのは良いものの、雑誌に載っていたという説明だとか、いかに来店するのが楽しみだったのかを力説する姿を見るとこれはこれで良心が疼く。
……貸し借りゼロどころか、貸しをつくったという借りをつくってしまった。

手作り感あふれるメニューの内容は1週間前に見た時と変わっていない。
前と同じでいいか。とメニューを閉じる。
美咲の方はというと、未だパスタとリゾットのページをいったり来たりして、あー、とかうーとか言っていた。

「ねぇ、カナメくんはどっちが良いと思う?」


『あのね、あのね。すっごく美味しかった!また来る時もリゾットにする!』
一週間前の美咲はそう言っていた。


「……好きな方にすればいいだろ」
「もぉ!選べないから聞いたのにぃ!」


結局美咲は、季節野菜のパスタを注文した。


UGNの記憶操作に反感があるわけではない。むしろそうされるべきだと思う。
ただ、こんな風に、自分は知っているのに相手は覚えていない事があるとやはり戸惑いを感じる。
見えない壁を隔てた向こう側に離れ離れになる感覚。
……日常との乖離だ。

「今日はご馳走様!」
会計を終え、外に出るとはしゃいだように美咲が言うのを、たまにはな、と濁しながら返す。

「あのね、あのね。すっごく美味しかった!また来る時もパスタにする!」

じゃあね!と手を振りながら美咲は帰っていった。
既視感である。

「……そんなもんか」
考え込んでいたことがバカらしい。そんなのは俺らしくない。
俺の日常はもっと適当で、怠惰で、流されるままでいいはずだ。
ふぅとため息で前髪をゆらすと、少し軽くなった気分と財布を片手に駐車場へと歩き出す。
そんなささやかな、日常のひとこま。